コラム – 人形劇団プーク

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プーク人形劇場誕生50周年シリーズ③

今年の11月に劇場誕生50周年を迎えるプーク人形劇場ですが、建物以外にも当時と変わらぬ姿で残されているものがたくさんあります。今回はそのうちの一つである舞台緞帳について、本日発行の「みんなとプーク」第275号より『プーク見聞録』の記事からご紹介いたします。

 “プーク人形劇場は1971年の誕生から今年で50周年を迎えます。人形劇の専門劇場として建設された劇場は国内外から招致された人形劇団の上演のみならず、人間による芝居を行う劇団やパフォーマー、ミュージシャンなどジャンルや手法を問わず、数限ない人達による芸術表現を行う場として賑わって来ました。

 また、そんな彼らの表現の始まりと終わりを告げる緞帳は、劇場と同様に50年間変わることなく、その役目を果たし続けて来ました。今回は、その緞帳について少しお話を致しましょう。

緞帳とアップリケ座布団のベンチ式客席(当時)

 この緞帳に描かれた絵をご覧になって、まず目につくのは藁で編まれた人形ではないでしょうか。また、藁の人形と見て始めに想像されるものは、丑の刻参りなどで用いられる呪術の人形かと思いますが、或いは神を宿らせて遊ばせる形代ではないかとも私は思います。

 そこで、劇団の諸先輩方に人形の正体を伺ったところ、これは田遊びをしている「よなぼ」という名の人形であるとのことです。田遊びとは日本の民俗にある古い慣習の一つで、年の初めに豊作を祈願して行われる行事です。また「よなぼ」は稲の子どもを意味した人形であると言います。緞帳にそれが描かれたのには、長く劇団の代表を務めた川尻泰司の並々ならぬ熱い想いが関係しています。

 劇団のレパートリーに『人形日本風土記』というものがあります。これは川尻泰司が構想から9年の歳月を掛けて、日本の民俗を全国に取材し書き上げた日本の人形の風土記を扱った芝居なのですが、その冒頭に「よなぼ」を踊らせて田遊びを表現した場面があります。

 この脚本を執筆した当時、氏は『人形日本風土記』を、19世紀のチェコに生きた作曲家ベドルジハ・スメタナの組曲『祖国』にも劣らぬ作品に仕上げたいと考え、その挑戦に付随する葛藤を脚本の前書きに記していますので、ここに引用してみましょう。

「私の心の中ではスメタナの『祖国 』にまけないものをつくり上げたいのだ。だがそれは今日は無理である。私にはそれだけの力がない。だがやがてこの作品を更に高める努力を続けることで、やがてはスメタナがその組曲で音楽によって祖国を歌ったものに負けない作品だ。人形によって日本の国土の姿と民族の心を描き語り歌う組劇に作り上げていく事ができると考えている。このたびの舞台はその第一歩なのである。」(一九六九年『人形日本風土記』台本より)

1969年『人形日本風土記』舞台より「田遊び」
1969年『人形日本風土記』舞台より「ちんさぐの花」
1969年『人形日本風土記』舞台より「山嶽の怪」
1969年『人形日本風土記』舞台より「流し雛」
1969年『人形日本風土記』舞台より「六地蔵」

 人形芝居によって日本の国土や民族の心を描き出そうと考えた氏が、緞帳に日本の伝統風景を描いた動機はやはり同じところにあるのでしょう。劇場が誕生した1971年当時は、日本国内が大きく変わっていった時代です。その変化を肌や心で敏感に感じとった氏が、失われていく日本の景色や精神を芝居や緞帳に残そうとしたのかも知れません。

 当時から50年を経て私の目に写るそれは、私たち日本人の帰るべき故郷の原風景にも見えます。昨今、インターネットやSNSなどの普及によって、私たちは容易にコミュニケートす ることが可能となっていますが、もしも私たちが再び共通の環境に立ち帰り、心を自然に返すことが出来れば、そのようなものは必要ではなくなるのかも知れません。

 きっと、現代の私たちに本当に必要なのは使い捨てにされる言葉ではなく、そこにあり続ける詩なのでしょう。この緞帳に描かれた風景にはそんな日本の国土に宿っている詩を私は感じるのであります。(文/池田日明) ”

1980年『人形日本風土記』舞台より
劇場入口の看板にも、藁人形たちがいつでもご来場をお待ちしています

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プーク人形劇場誕生50周年シリーズ②

劇場誕生50年を記念して、プークに残されている様々な歴史的資料をご紹介するコーナーです。第2回目は、劇場建設計画への意思表示が綴られた劇団発行の新聞「みんなとプーク」第19号(1967年8月20日発行)の記事からです。

1967年8月20日発行「みんなとプーク」第19号

 来る一九六九年はわたしたち人形劇団プークの劇団創立(一九二九年)からちようど四〇周年にあたります。わたしたちはこれを記念して、今日までプークが進めてきた仕事をさらに新しく発展させるために、都心、新宿に人形劇の専門劇場を建設することにいたしました。

 このことはわたしたちにとって長い間の願いでした。

 わたしたち三十年の歩みは、けっしてはなばなしいものではありませんが、プークは常に日本の人形劇をよりよく発展させ、日本中の子どもたちと大人のための現代人形劇を創りだすために努力してきました。

 けれど世界に誇るわが民族の豊かな人形劇の歴史を支え、今日から明日への人形劇を創造していく仕事は容易なことではありません。

 そのことは今日わが国にただ一つの人形劇場さえないことに、最もよく現れていると思います。

 世界各国の人形劇が行われている国々―チェコスロヴァキア、ソヴィエト、ポーランドなど東欧諸国、イギリス、イタリー、オーストリア等西欧各国、アラブ連合、中国等々―それぞれに人形劇場を持っている。

 日本にそれがないのはまことに残念です。

 舞台芸術を創りだしていく仕事のいしずえとしての劇場がもつ意義は、小山内薫、土方与志両先生によって建てられた築地小劇場の歴史が何よりもよくそれを教えてくれます。

 プークがこのたび立てる人形劇場は、一〇〇人から一二〇人の客席をもつ可愛らしい劇場です。けれどその舞台はどんな人形劇も上演することができる総合的舞台機構をもつ人形劇の専門劇場です。

 しかもこの人形劇場は東京の中心新宿駅より徒歩五分のところに建てられ皆さんとみなさんの子どもさんにとって、いつでも人形劇を見られるかつてなかった楽しい文化の宮殿となるでしょう。そしてそれはわたしたちの新しい創造の実験室であり、劇団の多様な活動の堅固な根拠地になるでしょう。

 一九六七年は日本の人形劇運動の歴史にとって大きな意義のある年です。二月には桐竹紋十郎氏を会長にして専門人形劇人数十名が集まって「人形劇人協会」が誕生しました。五月には第二回全国人形劇人会議が東京で全国より数百名の人形劇の仲間が集まって盛大に開かれました。このときにわたしたちが今度の計画を決めたことは、また意味あることと思います。この劇場は日本の人形劇運動にたづさわっている全国の多くの人形劇の仲間たちに広く利用してもらえる人形劇の家になるでしょう。

 わたしたちは、戦後劇団の再建にあたって、第一次・プーク建設計画により、現在地に劇団の建物をつくりました。

 このたびの第二次、プーク建設三ヵ年計画は、本年より劇団創立満四〇年目にあたる一九六九年十二月までの三年間でこの事業をなす考へでおります。

 わたしたちはこの事業がどんなに困難なものであるかをよく知っております。けれどそれは人形劇を愛し、プークを支持してくださる皆さんの力と、私たちプークの力を合わせるなら、それは必ずできるものだということをさらに強く確認いたします。

 この劇場はまた劇団創立者川尻東次をはじめ、永い苦しいプークの歩みの中で尊い生涯をかけてその歴史を築いた多くの誇るべき先輩と協力者たちの記念碑でもあるのです。

 このたび幸にもわが国の演劇界の権威者であり、プークのよき理解者である河竹繁俊先生が、わたしたちの計画の顧問となってくださいました。

 わたしたちは河竹先生をわたしたちの事業の歴史的社会的保証人として、人形劇団プークの劇団員一人一人は、すべての力を出しきってでも、必ずこの計画をなしとげることを、謹んで皆様の前にお約束するとともに、われわれのこの計画に対し、皆様の暖い御理解と御協力添えを心からお願い申し上げる次第です。

  人形劇を愛しプークを支持して下さる皆さんへ!
  昼はこどもが――夜はおとなが――
  いつでも人形劇を見られるために!

 劇団創立四〇周年を記念して六七年から六九年までの三ヵ年計画で、東京新宿に人形劇の専門劇場をつくる、プークの事業に御理解と御協力を!


↑プーク人形劇場建設発足記念集会で掲げられたスローガン

日本で初めての人形劇専門劇場を建設しようという計画が、最初に持ち上がったのは1949年のことでした。本来は国や行政が行う一大事業、夢のまた夢で一度は潰えてしまいますが、その後も熱い思いを抱き続け、1967年ついにその大きな一歩が踏み出されます。7月26日赤坂都民センターにて、劇場建設に向けての説明会が一般公開されました。

↑当時の劇団代表・川尻泰司の挨拶に耳を傾ける全国からの賛同者やテレビ局新聞各社の皆さん
↑俳優座劇場建設のご苦労を経験された千田是也さんのスピーチも

こうして劇場建設という大きな夢へと向かって、少しずつ前進していく劇団員たちですが、目標であった1969年に完成することはなく、目の前にはいくつもの壁が立ちはだかっていたのです。そのお話はまたいずれすることにいたしましょう。