コラム – 人形劇団プーク

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秋の子どもの劇場・まもなく開幕!

『りんごかもしれない』の初演は、2020年3月。
2019年にむかえた創立90周年の記念年間、その年度の締めくくりに、新作として幕をあけました。

原作者のヨシタケシンスケさんが、美術デザインを手掛け、舞台装置のためにイラストも描き下ろし、人形や仕掛けのアイディアもたくさん出してくださいました。
ヨシタケさんご本人も、絵本とはまた違った世界を楽しみながら一緒に創った、なんとも贅沢な稽古場でうまれた作品でした。

そんな中、コロナ禍が猛威をふるいます。
予定していた公演は、初日をあけてまもなく中止を余儀なくされ、劇場も休館。
緊急事態宣言が解除され、劇場をやっと再開できた公演では、
定員を大幅にさげ、客席と距離をとるために一部演出も変更。俳優達はマウスガードをつけた状態で演じました。

★2020年のクラウドファンディングでは、ヨシタケさんから応援のイラストをいただきました。

★劇場再開時、急遽取り付けた透明のパーテーションには、激突しないよう目印にボールを取り付けました。ちょっとリンゴみたい。

★離れて並んでね、とつけた足跡マークは、今はもうありません。

そんな中でも舞台は好評を博し、その後全国公演へ。各地で大好評の作品が、いよいよプーク人形劇場に帰ってきます!
コロナ禍で「密を避ける」ため封印していたちょっとした演出も、今回は復活!プーク人形劇場だからこそ楽しんでもらえる舞台へとパワーアップしています。

あの時見逃したという方も、また観たいという方も、初体験の方も、皆さんぜひお出かけください!

『プー吉・チビのムジカ−Música−ブラボー』…タイトルだけ聞いてもなんのことやらわからない!というこの作品、全国公演から始まり、今回初めてプーク人形劇場の舞台に登場します。

ちょっと不思議・ちょっと面白い・なんだか楽しい!
最新のテクノロジー(??)と、レトロな懐かしさとが混在する、ひとことでは言い表せない作品ですが、プークの劇場に入るにあたり新しいシーンや音楽が追加され、ぐーんとパワーアップしました!
「音」を「楽しむ」それが『音楽』・・・人形達の動きと音でいろいろ遊んじゃおう!
3人の俳優の、吹っ切れた演技もお楽しみに!

2024年 公演日程 詳細はクリック

10月 26日(土)10:30
10月 27日(日)10:30/14:00
11月 2日(土)10:30
11月 4日(月)10:30/14:00
11月 9日(土)14:00
11月 10日(日)10:30/14:00団体
11月 16日(土)10:30
11月 17日(日)10:30
11月 23日(土)10:30/14:00
11月 24日(日)10:30/14:00

全自由席/3歳以上均一  詳細はクリック

一般:3300円(3000円+消費税300円)
友の会会員:2640円(2400円+消費税240円)

※友の会同伴は、2970円(2700円+消費税270円)になります
※団体(15名様以上)、70歳以上のお客様:2200円(2000円+消費税200円)

スタッフ・キャスト 詳細はクリック

『りんごかもしれない』

◆原作・美術デザイン:ヨシタケシンスケ(ブロンズ新社刊)
◆脚色:西本勝毅
◆演出:柴崎喜彦
◆美術造形:坂上浩士
◆音楽:庄子智一
◆音響効果:川名 武
◆振付:上田 亮(音楽座ミュージカル)


『プー吉・チビのムジカ−Música−ブラボー』

◆作・演出/柴崎喜彦
◆美術/伊賀昌美
◆音楽/吉川安志
◆音響効果/池田日明


【出演者】
川尻麻美夏、山越美和、小立哲也

【共通スタッフ】
照明/芦辺 靖 舞台監督/小立哲也 制作/竹野明日香 

©Shinsuke Yoshitake/人形劇団プーク

プークの新聞「みんなとプーク」秋号は、迷路の表紙が目印です。
『りんごかもしれない』『プー吉・チビのムジカ−Música−ブラボー』の上演期間中、ロビー売店にもご用意していますので、読みたい!という方はお声かけくださいね。

表紙の迷路とイラストを描いてくれたのは、ペーパークラフト作家・イラストレーターの智与さんです。細部まで作り込まれ、可愛くて存在感もあるペーパークラフト作品がwebで紹介されています。ぜひ覗いてみてくださいね! ≫ Paper Forest /  ≫ tumblr

子どもたちに 平和な未来を 〜兵器ではなく文化を〜

 人形劇団プークは1929年の劇団創立以来、民衆の平和を願って活動してきました。しかし、太平洋戦争時には治安維持法(戦後に悪法として廃止)によって劇団代表者がいわれのない投獄を経験しています。そして今、「非戦国」から「交戦国」になりかねない防衛費倍増を推し進める日本政府の政策に強い懸念を持ち、断固反対の意思を表明します。


 非戦国の我が国が「反撃」「防衛」という言葉の曖昧な拡大解釈によって「実質交戦国」に向かおうとしている事は、明らかな憲法違反です。
また日本政府は、数年での防衛費倍増を大国の大統領に約束し、世界情勢を背景に国民にも自覚と責任を求め、増税を正当化しようとしています。しかもその財源は不確実かつ不明瞭なものばかりで、将来のさらなる増税は想像に難くありません。
さらに、太平洋戦争開戦の大きな財源になった反省から、戦後は決して認めなかった建設国債の防衛費予算化への検討が進められています。これは国の大きな方針転換であり、再び「戦争を行う国」になりかねず、決して看過できません。

 私たちは一年前に、権力者が判断を誤ればいとも簡単に戦争が起こってしまう、というロシアのウクライナ侵攻を経験しました。悲しいことに現在も戦争は終結していません。未来の我が国を担う子どもたちの平和を守らなければなりません。平和を維持し文化を豊かにすることに国の力が注がれるよう、私たち人形劇団プークは、強い意志をもち、反戦・平和の声をあげ続けます。

ー 人形劇団プーク代表 栗原弘昌 ー 
(2023年4月1日発行 みんなとプーク No.283新年号 『プー吉は進む』より)

伸びやかに 願いを込めて

新年あけましておめでとうございます。

今年プークは創立94年を迎えます。長い活動の中でも、この三年間は困難と厳しさの連続でした。コロナウイルスによる活動への影響は、未だ終わる気配はありません。

しかし得たものも少なくありません。対処の仕方も向き合い方もだいぶ変容してきました。オンラインや配信といった手法で、私たちの舞台を伝える方法も広がり、初めて人形劇に触れる人々とも出会えました。しかし、やはり観客の息づかいを感じながら、マスク越しであっても、観る人の笑顔に勇気づけられながら届けられる、生の舞台は格別なものだと、あらためて強く感じています。そして、三年ぶりにやっとプークを観られました、と全国各地のかたがたの嬉しい声をいただき、喜びを共にできる事が私たちの大きな原動力です。

この三年間のコロナ禍で、子どもたちはたくさんの我慢や分断を強いられてきました。いつの時代も子どもたちは、この世に生まれてから3歳を迎えるまでの間に、めざましい成長をとげてゆきます。この3年という年月は、それぞれが自我を確立してゆき、個性あふれる「ひと」になっていく大切な時間です。すべての子どもたちが、限りない可能性を奪われることなく、どうか伸びやかに心ゆたかな人として育つことを、願ってやみません。その思いを込めて、私たちは人形劇で心揺さぶる時を届ける、真摯に舞台創造に向き合い続ける集団でありたい、と思います。

春三月にはプーク人形劇場にて、新作「ねこはしる」を上演します。「生きることはつらいかもしれないけれど、生きているからこそ感じられる喜びは、何事にも代えられない。」日々を生きづらいと感じている若者たち、おとなたちに、エールを贈る舞台として新境地を目指します。

今年も、ご支援をよろしくお願いいたします。

ー 劇団プーク 代表 石田伸子 ー

( 2023年1月1日発行 みんなとプーク No.282 新年号 『プー吉は進む』より )

第32回イーハトーブ賞を受賞しました!

 岩手県花巻市創設の、第32回イーハトーブ賞をプークが受賞しました!
 9月22日、花巻市での贈呈式には劇団代表の栗原弘昌と井上幸子が出席、人形映画『セロ弾きのゴーシュ』の映像資料なども交えた講演も行いました。賢治生誕の地で、賢治を愛する皆さんと貴重な交流をさせていただきました。

▲2022年9月22日
第32回宮沢賢治賞・イーハトーブ賞贈呈式の様子

イーハトーブ賞受賞によせて

 人形劇団プーク代表 栗原弘昌

 今夏8月、岩手県花巻市創設のイーハトーブ賞受賞の知らせが入りました。イーハトーブ賞とは「宮沢賢治の名において顕彰されるにふさわしい実践的な活動を行った個人または団体におくられる。」(宮沢賢治学会イーハトーブセンターHP)とあります。それは突然舞い込んだ大きな喜びと大きな驚きであり、劇団全体に活力をもたらしてくれる出来事となりました。
 選考理由には、宮沢賢治生前の1929年に劇団を創設し、1948年の再建第一作や劇団の節目に「オッペルと象」を公演している事。1953年には長篇人形映画「セロ弾きのゴーシュ」を制作し、それぞれの作品が農民や民衆からの視点で描かれている事があげられています。一作品の評価というよりも、劇団創立から現在までの活動に対しての評価であると理解すると同時に、今後の創造活動に対する責任を感じました。また、どのような形で社会に貢献していくべきか、明確な意思をもって取り組まなければならないと身の引き締まる思いでいっぱいです。そして、長年にわたりプークを応援し劇団を支えて頂いた全国の皆様に、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
 賢治没後の1934年に手帳の中から発見された有名な「雨ニモマケズ」は、2011年の東日本大震災後に、復興に取り組む東北の方々の心の支えにもなったという話を聞いたことがあります。時を越えて人々の心に影響を与え、生きる力を与えてくれる宮沢賢治作品の多くがそうであるように、我々もそのような作品創造を目指し、今回の受賞に誇りをもって、そして謙虚に一歩ずつ一歩ずつ進んでいきたいと思います。(2022年10月1日発行「みんなとプーク」第281秋号掲載の『プー吉は進む』より)

▲人形劇団プーク再建第一回公演『オッペルと象』(1948年)
▲人形劇団プーク再建第一回公演『オッペルと象』ポスター(1948年)
▲長篇人形映画『セロ弾きのゴーシュ』撮影風景(1953年)
▲長篇人形映画『セロ弾きのゴーシュ』ポスター(1953年)
▲プーク人形劇場杮落し公演『霧と風からきいた話』より「ありときのこ」(1971年)
▲プーク人形劇場杮落し公演『霧と風からきいた話』より「鹿踊りのはじまり」(1971年)
▲人形劇団プーク創立90周年記念公演『オッペルと象』(2019年)
▲プーク人形劇場にて展示中

 立派な賞状と正賞の「空のクリスタル」は11月公演期間中、プーク人形劇場にて展示予定です。ご観劇へお越しの際にはぜひご覧になってください。「空のクリスタル」については、宮沢賢治学会イーハトーブセンターHPに詳しく解説されています。

プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑭

 本日より始まりました「新宿ストリートシアター」。5つのバリアフリー(国籍・障害・年齢・経済・地域)をコンセプトに、普段なかなか劇場に足を運べない方や、今まで舞台芸術に出会ったことのない方にも、優れた芸術体験をお届けしたい。そんな想いから、今年はプーク人形劇場・新宿高島屋・オンラインの3拠点で開催しています。

 「いつもの場所」が「劇場」に! 会場で、オンラインで、皆さまのお越しをお待ちしております。

 そしてこちらのコラムでは、およそ50年前の劇場誕生時から構想され、これまで長きにわたって続けられてきた「世界の人形劇シリーズ」の歴史についてご紹介します。プークは劇団創立時より、世界各国との文化交流や国際活動を積極的に行ってきました。その一環として始められたこの劇場企画ですが、プークの定本「現代人形劇創造の半世紀ー人形劇団プーク55年の歩みー」(編著者/川尻泰司、未来社刊)には、そのいきさつが詳しく記録されています。

▲パーシー・プレス親子「パンチとジュディ」(1973年)

第4部1971~1980(竹内とよ子、三橋雄一・著)

5,国際交流から国際活動へ

「世界の人形劇シリーズ」スタート

 プーク人形劇場企画・世界の人形劇シリーズが始まったのは、1973年11月である。以後、このシリーズは毎年プーク人形劇場の名物となっている。その第1回の出演は、イギリスのパーシー・プレス父子の『パンチとジュディ』ならびに吉田千代勝・千代海の秋田猿倉人形芝居という日英両国の伝統人形劇の競演だった、この取合せは実は1972年に手合せずみだった。日本ウニマ代表団がシャルルビル・メジェールに向かう途中、当時のウニマ会長ジャン・ブッセル宅をロンドン郊外に訪ねた。そこでパーシー・プレス一座と吉田千代勝一座とがサロンで上演したのである。

 また、1973年4月には川尻が芸場支配人長谷川正明を同行して、ウニマ執行委員会(ストックホルム)とソフィアの国立中央人形劇場25周年記念行事に出席した。その後、川尻はモスクワの国立中央人形劇場に、以前から約束してあったプー吉の人形を寄贈して帰国したが、長谷川は川尻と分かれて40日間にわたって、ヨーロッパ各地に人形劇の視察旅行を続けた。そのような事前の調査や視察の上に、『パンチとジュディ』を皮切りに第2回、アルブレヒト・ローゼル(西ドイツ)第3回、ブルガリア国立ソフィア中央人形劇場、第4回、リチャード・ブラッドショウ(オーストラリア)とジャン・ポール・ユベール(フランス)、以下今日に至るまで、このシリーズが続けられている。

 回を重ねるにつれて、プーク人形劇場でこのような海外人形劇紹介して行なわれていることは、プーク 国内だけでなく海外においても国際的劇団として知らしめることになって行った。 巻末のプーク公演・ 活動年表を見ても分るように、プーク以外のところでも、海外人形劇人の来日とその公演が繁くなったのは1974年以降であり、プーク人形劇場で上演はしなくても海外人形劇人のプーク訪問も同時期から増えている。 このことはプーク人形劇と世界の人形劇シリーズの継続が全く無関係とは言えないだろう。


 一方で、ウニマ執行委員として川尻は、第2回中央アジア人形劇フェスティバルに招待参加 (1975年)し、 また、星野はオーストラリアのタスマニア人形劇場で、自作のプーク上演作品『とんまなてんぐ』 (英訳名 BIG NOSE) 演出・美術を担当、二カ月間にわたって同劇場の若いアンサンブルを指導した。

第1回海外公演 ヨーロッパツアー(1976年)


 そして、1976年6月、第12回大会と国際人形劇フェスティバルがモスクワで開催された。これには、プークからはまたも8名(ノーヴァからも嘱託の酒井久美子と同野公夫を含む)が参加した。このモスクワ行きは、日本代表は69名の多数にのぼった。 大会では川尻泰司は、執行委員に再選されたほか、新設された第三世界委員会の委員にも選ばれた。また、この大会と祭典参加で、長谷川、曽根、竹内の3名は、3コース に分れたそれぞれのツアーの事務局を、川尻原次はフェスティバルに上演参加の八王子車人形西川古柳座と西畑人形、池原由起夫夫妻らの舞台監督を、秋田恭子は日本ウニマ書記として日本代表団の事務局を務めた。このモスクワ参加の年の秋、プーク初の海外公演が行なわれた。