2022年2月22日
プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑩
先月はプーク人形劇場の建物についてお話いたしました。最近ご来場の際に劇場の外観を見上げてくださる方をよく見掛けます。興味を持ってくださってとてもうれしく思います。
劇場の壁には、目を凝らすと様々な装飾が施されているのですが、何の印だろうと不思議に思われた方もいらっしゃるかもしれません。
今回は1991年プーク人形劇場誕生20周年の記念の年に発行された「みんなとプーク」第143号『こどものページ』のコーナーから、じっくり解説いたします。
『こどものページ』より
~人形劇おじさんの話 No.31~
劇場の壁には何が彫ってあるの?
プーク人形劇場の正面の壁には1階から5階まで、いろいろな彫刻が掘られています。
これはプークが誕生してから劇場ができるまでを絵と文字で彫りつけた人形劇団プークの歴史です。
この彫刻は20年前、この劇場を建てたとき、おじさんが構図を考えてデザインをし、彫刻家の野口鎮さん(元プーク美術部員・行動美術会員)に協力してもらって掘ったものです。
劇団の人たちも、ある人はブタの目、別の人はオリーブの葉を一枚ずつと手伝って掘り上げました。
全部彫り上げるのには1ヵ月ちかくかかりました。
一番上に掘ってある1929はプークができた年号で、今から62年前です。そのときの劇場の名前は「人形クラブ」で、エスペラント(万国共通語)では、LA PUPA KLUBO、PUKはそれを略したもので、戦争後、それを劇団の名前にして人形劇団プークになったのです。
その下にTOJO、またその下にPiriとあるのは劇団創立者川尻東次の名前で、子どものときピリケン(キューピー)そっくりでピリはニックネームです。
けれどそのころの日本には芸術の仕事に自由がなく、1933年にはプークの名前で活動することができなくなり「パンチ座」と名前をかえました。ここから年号の文字が凹字になるのはそのためです。
パンチ座のとき、おじさんは日本ではじめて両手使いの人形を作ったので、その首を掘りました。
次は4階です。1935年には「お人形座」に変り、初めて影絵が上演されました。1936年にはまた人形劇団「ユーナプーポ」(若い人形)に変わりましたが、1938年には劇団員は人形を作って売る人形工房という共同生活をしながら活動を続けました。
3階にうつると、左半分の壁はデコボコに掘り荒らされていますが、これは太平洋戦争がはじまる前の年1940年に人形工房は全員警察に検挙され、劇団は解散させられ、戦争が終わるまでは、プークはなくなったようにして活動したのでした。
ここに掘られている何人かの人たちの名前は、その間に亡くなった犠牲者たちです。鉄かぶとのガイコツとサーベルと鉄砲は、そのころの警察と軍隊を表わしています。手すりに掘られた人形を使う形の手に持った麦の穂は折られています。
3階中央には、平和を表わすオリーブの枝に日本が戦争に負けた1945年8月15日の記念日が掘られています。けれどその左にもう一人、戦争が終わっても警察から釈放されずに死んだ犠牲者の名前が掘られています。
1946年は凸字で掘られています。焼け跡の目白にバラック小屋を建て、人形劇団プークが再建された年で、そのときの劇団のマークは丸太の棒から生まれたピノッキオでした。
その右にあるのは劇団ができてから戦後まで、プークのみんなの面倒を見てくれた劇団の母親ともいうべき川尻東次の母親の名前です。
1948年は現在劇場のあるこの場所にプークの事務所とけいこ場ができた年です。劇団員はここで共同生活をし、劇団のマークもPマークに変り、プークに花が咲きはじめました。マークの下に共同生活を支えた二人の名前があります。
劇場玄関の上の名前のPUK(プーク)PUPA(プーパ)TEATRO(劇場)の右に1949・1PPと凹字が掘られ、その下に凸字で1967・2PPとあります。
1949年には、現在の劇場の道をへだてた反対側に、プークの百坪(330平方メートル)の土地にアトリエと住宅があり、さらにホールのあるプー吉会館を建てようと1PP(第1次プーク建設計画)をはじめましたが失敗に終わったので、これは凹字で掘られています。
それからいろいろな困難がありましたが、劇団は力を養い、1967年には劇団創立40周年までにはなんとしてもプークの劇場を建てようと2PP(第2次プーク建設計画)を出発させて全力をあげてがんばりました。
劇場名の左に掘られた1960とその下のマークは、この年日本ではじめてプークがUNIMA(国際人形劇連盟)に加入したので、ウニマのマークの人形がプークの旗を持っています。
そして玄関入口の左の壁の上に掘られているように、計画より4年遅れた1971年11月26日東次忌(川尻東次の命日)に2PPは成功し、プーク人形劇場が誕生しました。
今年はそれからちょうど20周年の記念の年です。(絵と文/川尻泰司、1991年11月20日発行「みんなとプーク」第143号『こどものページ』より)