お知らせ一覧 – ページ 13 – 人形劇団プーク

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『カモメに飛ぶことを教えたドラ猫の物語』 3月公演中止のお知らせ


この3月に予定しておりました
ブルガリア・ソフィア人形劇場との共同制作公演『カモメに飛ぶことを教えたドラ猫の物語』は、中止とさせていただきます。

度重なる延期にも関わらず、変わらずに応援し楽しみにしてくださっていた皆様には、このような残念なお知らせとなってしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。


私達は、二度の延期を経て、この3月の公演実施に向けて準備を進めてまいりました。
ソフィア人形劇場のメンバーも、日本での待機期間の隔離についても覚悟を決め、最後まで来日を目指してくれていました。しかし、オミクロン株に対する水際対策の強化により、海外アーティスト入国の目処が立ちませんでした。私達も悔しくてなりません。

ブルガリアのメンバーも私達も、今回届けられなかったこの作品を必ずや日本のみなさんに届けたいと考えています。次にむけて、あらためて準備をすすめることにいたしました。
実施することが決まりましたらご案内いたします。
どうぞ引き続きのご声援をお願いいたします。

2022年 1月 31日 プーク人形劇場

プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑨

 寒さ厳しき折、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今年もゆったりペースでプークにまつわるあれこれをご紹介してまいりますので、おうち時間のおともにお付き合いいただけたらと思います。

 さて今日から2回連続でプーク人形劇場の外観についてお話してまいります。まずは劇場という建物についてのお話です。昨年10月15日発行の「みんなとプーク」第277号『プーク見聞録』の記事より、ご覧ください。(※注釈のない写真はすべてイメージ画像です)

▲プーク人形劇場の壁面を掘る劇団員(1971年)

プーク見聞録 ~劇場50周年~

その3「碑と壁面彫刻」

 1971年、プーク人形劇場が誕生した年に発行された記念誌の中で、当時の劇団で代表を務めていた川尻泰二は建物の完成を「やはり大きな喜びである」としながら「だがそれは、われわれが更に新しいスタートラインに立ったことを意味する」と語り、その訳を「”仏つくって魂入れず”ということになっては何にもならないことだからである」と記しました。

また、文中には全長27メートルの劇場を「奈良の大仏のほぼ2倍」の高さだと感慨深く語る氏の言葉も残されており、そこからは劇場と仏象を重ねて見ていた眼差しが感じられます。今回は、そんな氏の残した言葉の由について、劇団に遺された文献や多少の民俗学分野の研究を手掛かりに探ってみたいと思います。

 まず、一般に劇場とは建築物です。したがって御仏の姿を模した仏像のような鋳物(いもの)や石造物とは造られる目的から異なります。但し、ここで注意すべきは劇場のように何らかのことが演じられる場とは、本来は神に祈りを捧げる場であったということです。先ほどの川尻氏の文章にもあった奈良の大仏は、正確には(ひがし)大寺(だいじ)盧舎那(るしゃな)(ふつ)(ぞう)と言い、奈良県は東大寺の大仏殿に本尊として納められていますが、こうした仏殿が建立(こんりゅう)されるような土地は、それより以前の古い時代から神木や石神(いしがみ)などの神体が祀られていた所を選ぶことが多く、そのような巨木や奇岩(きがん)を境内に祀っている寺社は現在も多く見られます。

また縄文など古来より、それらの神体には土地の人々による五穀豊穣や安産祈願などの「実り」に対する祈りを捧げられてきました。その切実なる祈りは、後に様々な形へと発展していったと考えられますが、その一つに祭りがあります。元来、祭りは神が降りて来るのを待つ儀式であったと言われていますが、その最中において人々は神を待つために様々な祭儀を行い、祭りの起源や謂れを伝承するために芝居を演じて物語るようになったのではないかと考えられます。また、そうした祭事を行った場が今の劇場の原風景であるように私には思えてなりません。

以上のように日本の原始宗教は祭文や祭事などの中に民族の伝統を遺してきたのですが、やがて大陸から文字が伝播されると、石などの自然物にそれを刻む慣習が生まれます。文字を彫られた石は、石碑もしくは「(いしぶみ)」と呼ばれ、表面にはその地に伝わる”忘れてはならない過去の謂れ”が刻まれています。そうした石を日常的には記念碑などと呼びますが、けして軽んじて然るべきものではありません。なぜならば、そこには何か「魂」とでも言えるものが刻まれているからです。

 さて、ここで話を劇場の方へと戻しますと、プーク人形劇場が誕生した当時「コンクリート直彫り」と謳った劇場の外壁には、多くの碑文が刻み込まれています。それらは劇団が創立されてからの歴史や「多くの困難の中にプークの未来を信じつつ世を去った人たちの名前または愛称」をエスペラント文字で刻んだ数多の徴です。そして、それらの碑文を彫り込んだ劇場を、川尻泰司は「42年の足跡を絵入年代記として彫り込んだいしぶみである」と述べています。つまり、氏はこの劇場を石仏より前の原始的な神体になぞらえて考えていたのではないでしょうか。

▲劇場壁面のレリーフ

飛鳥時代に大陸から仏教が伝来されるより以前、原始の時代における神体は仏像ではなく自然にある石や木でした。森羅万象の事物に神が宿ると考えた日本のアニミズムにおいて、生活に恵みをもたらす木や石の中でも特に巨大なものや奇態なものは人々に畏敬の念を抱かせました。

こうした呪術的ともいえる強大な力を「太陽の塔」の造形などで知られる岡本太郎氏は「なんだこれは!」という戦慄の言葉で端的に表現していますが、本来、石とはそうした底知れぬ力を内に秘めたものなのです。プーク人形劇場はコンクリート造であるため、その材質は純粋な石ではありませんが、やはり川尻泰司がそれを「碑」であると書いている以上、本質的にはやはり石の建築物と考えるべきでしょう。だからこそ、劇場は仏でもあり得ると共に「魂」の入れものとしても成り立つのです。

▲ 劇場壁面のレリーフ(正面入口左側)たとえ ひとりになっても私は歩みをやめない。新しい仲間は必ず集まってくる。プークがやろうとするのはそのような人形劇の仕事だ!

では、その肝心な「魂」とは何かといえば、それは人形劇を含む芸術の全てではないかと私は考えます。劇団の記念碑でもある劇場に表現者の心に灯る火を絶やさぬことで、劇場に宿る「魂」は今も燃え上がり続けているのです。在りし日に建築現場の職人さんたちから「石屋さん」と呼ばれ、壁面の削石に打ち込んだ日のことを川尻泰司は「幸せに満たされた日々」と回想しています。その胸に煌いたであろう喜びへと想いを寄せながら、この度は筆を置くことにします。(文・池田日明)

▲劇場壁面に彫刻を施す笑顔の川尻泰司(1971年)

いかがでしたか。次回は壁面に掘られた印や名前について、一つ一つ取り上げてみたいと思います。どうぞお楽しみに。

長谷川義史原画展を開催します!

プークの岸本真理子作、長谷川義史さんの絵による、絵本『オカピぼうやのちいさなぼうけん』。
出版にあわせ、『長谷川義史原画展』をプーク人形劇場にて開催します。
期間は2022年1月20日(木)〜2月28日(月)です。

上演にあわせてご覧いただけます。ぜひ、お楽しみに!!


プーク人形劇場誕生50年シリーズ⑧

 先月11月26日がプーク人形劇場の誕生日でした。たくさんのお祝いのメッセージをありがとうございました。実は今年50歳になるのは劇場だけではありません。今週末より始まる毎年恒例クリスマス公演の『12の月のたき火』も、1971年4月、劇場誕生に先立ち生まれた作品です。劇場建設のために奔走していた真っ只中のことです。今回はこの、プーク人形劇場と共に歩んできた『12の月のたき火』の歴史についても少しだけご紹介いたします。

 引用資料は前回のコラムに引き続き「現代人形劇創造の半世紀ー人形劇団プーク55年の歩みー」(編著者/川尻泰司、未来社刊)です。その第4部1971~1980(竹内とよ子、三橋雄一・著)「1,プー吉と糸操りの新たな回帰」より『12の月のたき火』に関する項目を抜粋して掲載いたします。

▲「現代人形劇創造の半世紀ー人形劇団プーク55年の歩みー」(編著者/川尻泰司、未来社刊)

出遣い糸操り『12の月のたき火』

 プークの人形劇は、プー吉とチビの人形が幕前で歌う「アイウエオとなのお人形……」の「開業の歌」と挨拶で始まる。劇によっては省略される場合もあり、1970年代後半からは「開幕の歌」の他に、『うかれバイオリン』の中の「人形芝居の始まりだ……」の歌 (川尻泰司作詞、宮崎尚志作曲)が使われる場合もある。プー吉の人形には片手使い、両手使い、あるいは碁盤使いの大型人形といろいろな種類があるが、開幕の挨拶を通じてプークのプー吉は日本中の人たちに親しまれている。

 プー吉が誕生したのは1931年、戦前の移動上演活動の中だった。このプー吉の名をつけた「プー吉劇場」が始まったのは、第三部で述べられているように1968年のことだった。2トン車1台に、運転する人も含めて6人、人形、舞台、セット、照明器材、音響効果一切合切を乗せて、北海道から沖縄まで飛び回り、プークの人形劇を見てもらう。大劇場での公演だけでなく、どんな小さな町や村にでも出掛けて行くのが、戦前からのプークの流儀であり、戦後もそれは続けられていた。ずっと昔は、人形や舞台をリュックサックや大八車で運んだのを、1960年代末からの「プー吉劇場」では、車で移動するようになった。戦前は移動上演活動をする必要から、糸操りではなく手使い人形を取り上げ、それに応じたレパートリーが創られたが、「プー吉劇場」の場合もその活動形態にふさわしいレパートリーが要求されていた。何しろ、「プー吉劇場」を始めて以来、年間の上演日数は増大したものの会場は保育園、幼稚園、小学校、収容人員200人から800人ぐらいまでの中小ホールと、条件はまちまちである。しかも、軽装シンプルだからといって舞台効果の低い芝居をやることはできない。こういう状況に適応できる作品が、のどから手が出るほどほしかった。

▲ プー吉劇場トラック

 そこに登場したのが、「プー吉劇場」の新作『12の月のたき火』(川尻泰司作・演出、中山杜卉子・美術)だった。1971年4月のことだった。チェコスロバキアの民話をもとにしたこの作品は、ファンタジーにあふれシンプルで野趣に富んでいる。同時に、「プー吉劇場」の活動形態で上演できるように、出遣い形式による糸操りが採用された。これは日本の現代人形劇では初めてのことであった。

 普通、糸操りといえば、操作者は姿をみせないが、この糸操りでは、黒子を着た遣い手の姿は観客から見える。主な人形の構造は、首のてっぺんに固定された鉄線で体全体を保ちながら首を動かし、腰と手足は糸で操作する。これは川尻がチェコの伝統的な糸操りの構造をもとにしてコントローラー(吊り手)を改良したもので、それによって合理的な操作が出来るようになった。また、火の精の人形は、さらに単純でよく自転するように構造が工夫された。

▲ 舞台「12の月のたき火」よりマルーシャと火の精(撮影/中谷吉隆)

 『12の月のたき火』は、糸操り独特の味わいが他の仮面や切出し人形とみごとに溶け合い、可動パネルの舞台装置とあいまって、これまでとは一味違った、斬新で情感溢れる舞台になった。 そして、この舞台は、今日まで 「プー吉劇場」ならびにプーク人形劇場で上演をつづけ、毎年、年末にはプーク人形劇場になくてはならない演し物になっている。振り返れば、プークは創立当初は糸操りを使っていた。それが、実際の活動の必要から、手使い人形を用いるようになった。戦後は、1956年初演の『金の鍵』では、部分的に糸操りも取り上げられた。その後、川尻は「綜合人形操作術」を提唱した。「綜合」という中には、手使いのみならず棒使いも糸操りも含まれるはずである。だが、『金の鍵』以後はプークの舞台に糸操りは登場しなかった。一方、出遺いは、1960年代半ば頃から、人形劇表現の拡大のために積極的に取り組まれていた。糸操りと出遣いとを融合させた出遣い糸操りとなれば、糸の長さも短くてすみ、舞台も比較的簡便な機構ですますことができる。「綜合人形操作術」は出遣い糸操りによる『12の月のたき火』によって一歩前進させられた。そして、出遣い糸操りは、プーク人形劇場こけら落しに上演された『はだかの王様』へ、また、時を経ずして「プー吉劇場」のような小班だけでなく大班の舞台でも試みられることになった。

▲ 「12の月のたき火」初演ポスター(1971年)

 1971年12月15日、プーク人形劇場こけら落しの幕が上った。その幕開きは、言うまでもなくプー吉とチビの登場である。この時のプー吉は、前年、「プー吉劇場」のために川尻が創った碁盤使いの人形だった。劇場開場の記念公演は、昼は子どものために、川尻東次の代表作『はだかの王様』、宮沢賢治の原作を川尻泰司が脚色した『霧と風からきいた話』、夜は大人のために、プークの古典的な作品『ファウスト博士』の第一部を上演した。『ファウスト博士』では、演技陣は完全ダブル・キャストで、それまで両手使いだった主要な役はすべて棒使いに改められた。『霧と風からきいた話』は、片手使いと両手使いの人形に人間俳優が絡んでの新作である。『はだかの王様』は1930年の初演以来ほとんど片手使いで演じられてきたのが、ここでは、出遣い糸操りに一新された。

 劇場建設を進めながら、これらの多様な舞台の同時仕込みに、直接関係したスタッフや演技者はもちろんのこと制作や事務関係までが大わらわで、てぜまな劇場はゴッタ返した。こうして、プークの人形たちは木の香がかおる真新しい自分たちの舞台で、入れ替り立ち替り登場して自分たちの歌を歌いはじめた。翌春からは『小さなトムトム』と『ひとまねアヒル』、秋からは『12の月のたき火』と『小坊主ずいてん』が子どもたちのために上演され、劇場は開場の初年度から、子どもの公演のシーズン制出し物の季節替り制を定着させて行った。

 『12の月のたき火』の公演は今週11日(土)より始まります。まだお席の空いているステージもございますので、ぜひマルーシャに会いにいらしてくださいね。

2022年 新作落語お正月寄席 

〜円丈師匠 見ていて下さい〜

2022年1月2日(日)~ 5日(水)

開場:17:30 (4日のみ18:00)
 開演:18:00〜(4日のみ18:30〜)


入場料

前売り¥2,800(要予約・自由席)
当日券/¥3,300(定員に達しなかった場合のみ)

定員:80名


※当劇場はベンチシートのため、お隣の方との距離がかなり近くなりますが、公演中も劇場内は常時換気をしております。
どうぞ安心してご鑑賞ください。換気の影響で客席も若干寒くなることが予想されますので、暖かくしていらしてください。
※本公演は「(公社)全国公立文化施設協会」「緊急事態舞台芸術ネットワーク」の発行するガイドラインの基、感染防止対策を講じております。

■ご予約・お問合せ・会場■

  プーク人形劇場
〒151-0053 東京都渋谷区代々木2-12-3
  電話:03-3379-0234 / Fax:03-3370-5120


*** 感染症拡大防止策について ***

《劇場の換気について》

プーク人形劇場では建築基準法による「排・吸気」を行っています。上演中も換気機械を作動させます。さらに、開場時間・休憩時間中は非常口の扉を開けて換気につとめます。

《除菌について》

消毒液を受付、洗面所、赤ちゃんベッドに設置します。不特定多数の方が触れる部分はアルコールシートで清拭します。

《出演者・スタッフについて》

出演者・スタッフは毎日検温し、体調管理につとめます。当日、制作スタッフはマスクを着用します。受付にはアクリル板を設置し、飛沫感染を防ぎます。

《いらっしゃる方にお願い》

体調がすぐれない方は、ご来場をお見送りください。(入場をお断りする場合がございます。)
おとなの方はマスクの着用をお願いいたします。
マスクをお忘れの方には、当日受付でマスクを販売いたします。