お知らせ一覧 – ページ 10 – 人形劇団プーク

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プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑪

プーク人形劇場に併設された「コーヒープンクト」。店主こだわりのコーヒーと手づくりケーキが堪能でき、観劇の合間の憩いの場として、プークの人形劇とセットで愛して下さっている方も多いと思います。 今回は劇場にとって、なくてはならない喫茶室と売店についてのお話です。どうぞお付き合いください( 2022年1月1日発行の「みんなとプーク」第278号『プーク見聞録』の記事より転載)。

▲ プーク人形劇場2階・喫茶ぷーぽ(1971年)

 冬の朝、東の果てから透明な日差しが町へ届けられました。昨夜は人声に賑わった歩道も今はひっそり閑として、響いて来るのは(のこぎり)みたいな木枯らしと雀の(さえず)りただそれだけです。ちゅんちゅんちゅんと可愛らしい雀の声は、古人の耳にはチウチウチウと鼠の様に聞こえたのだとか。「うつくしきもの。瓜にかきたる(ちご)の顔。すずめの子の、ねず鳴きするに踊り来る」とは『枕草子』の一節ですが、この小さな鳥を愛らしく想う心地は、古今を問わず誰しもが感じて来たことなのでしょう。さて、そんなうつくしき客人も雀合戦さながら集まり来る場が、新宿にあることを皆さんはご存知でしょうか。プーク人形劇場の一階にちょこんと構える喫茶〝プンクト〞。陽のあたる通りに面し、小鳥に祝福されたこの愛らしいサロンと劇場とのお話を今日は致しましょう。

コーヒープンクト(現在)

 「上等な豆で淹れた珈琲を誰にも気軽に飲んでもらいたい」そんな気風(きっぷ)の良さからか、旨い珈琲や素材にこだわった洋菓子やジュースなどを取り揃えるプンクトは、終日(ひねもす)行き交い人や劇場へ訪れるお客様に向かって開かれた喫茶です。また、テイクアウトに供されるペーパーカップには、プークのレパートリーとしても大切にされているメーテルリンクの『青い鳥』を模した絵がスタンプされています。「一杯の珈琲から夢の花咲くこともある」と、古い流行歌の文句にありますが、このうた鳥が告げるのはすぐ隣にある幸せでしょうか。踊り来る雀と戯れ、冬の珈琲が冷めぬ間に、そんな想像に思いを巡らせてみるのも気楽な楽しみかも知れません。

▲コーヒープンクトの紙コップ

 そんなプンクトより前の時代には、〝ぷーぽ〞という喫茶室がありました。こちらは劇場が誕生した1971年に建物の2階に併設されたもので、店内は世界各国の人形劇のポスターや(ほうき)に乗った魔法使いの人形で飾られ、人形劇人たちのサロンとして賑わったと聞きます。また当時を知る劇団員によれば、年末の大掃除を終えるといつも劇団の全員に珈琲を振舞ってくれたと言うことで、一杯の温もりに羽を休めた人もきっと多かったのではないでしょうか。

▲ プーク人形劇場2階・ 喫茶ぷーぽ(1971年)

 しかし、こうした劇場へ喫茶室を併設するという計画は、どのようにして発想されたものなのでしょうか。そこで劇団内にて話を伺えば、どうやら劇場の建設に際してヨーロッパ諸国を視察して回った川尻泰司が、現地の劇場で目の当たりにした経験を元にして発想したということです。「舞台や客席だけでなく、子どもたちが一丁前に迎えられる場所や経験を与えたい」という想いを持った氏が、大人の施設である喫茶や売店をも劇場に併設しようと計画し、数年の後に実現させました。

▲ 喫茶ぷーぽ・ギャラリー
▲ だるまちゃんショップ開業時、かこさとしさんと(2000年・喫茶ぷーぽの後)
▲ プーク人形劇場1階ロビー売店(現在)

 終戦後に再建されたプークは「こどももおとなも楽しめる5歳から88歳までの人形劇」というスローガンを掲げ、日本中を公演するところから始まったと劇団の歴史に伝わっていますが、その標語は劇場建設の際にも作用し、現在でも世代を超えた多くのお客様を迎えられる日々が続いています。劇場の座席に腰を下ろしてどれどれと人形劇を観劇し、喫茶においては歓談のひとときを喫することの楽しみは、これから大人になろうとする子どもにとっても貴重な時間でしょう。

現代の言葉の一つに” 消費者”という語がありますが、人生は消費するものではなくて想像(創造)するものであるといつでも信じていたいものです。プーク人形劇場は、そうした人の想像力を育む場として今日も尚あり続けています。新しいモノを生み出すことも、壊れたモノを直すことも、人や自分の気持ちを省みることも、全ては想像力の為せる業です。この劇場へ訪れたあなたの探し物がいつかこの場所で見つかりますように。一幕の舞台から、あなたの青い鳥を探してみませんか。(文/池田日明)

▲ 人形劇団プーク「青い鳥」よりチルチル・ミチル人形写真(1957年初演時)
▲ 人形劇団プーク「青い鳥」ポスター(1957年初演時)

トークセッション「人形劇の魅力」

50周年記念フェスティバルに参加している人形劇団の「創造の現場」から、
なぜ人形劇なのか、「人形劇の魅力」をとことん深堀りします。

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アーカイブ公開しました! ご要望にお応えして配信期間延長しました!
https://youtu.be/YbPVYGnfFqg

【出演スピーカー(敬称略)】
 人形劇団京芸 石川幹洋
 人形劇団ひとみ座 松本美里
 人形劇団クラルテ 高平和子 松原康弘
 人形劇団むすび座 大野正雄
 人形劇団プーク 井上幸子 栗原弘昌

【ゲストスピーカー】
 西上寛樹
 (フリー劇作家 ひとみ座「はれときどきぶた」脚色・演出/むすび座「トッケビ」脚本)

全体司会 伊井治彦

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プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑩

 先月はプーク人形劇場の建物についてお話いたしました。最近ご来場の際に劇場の外観を見上げてくださる方をよく見掛けます。興味を持ってくださってとてもうれしく思います。

劇場の壁には、目を凝らすと様々な装飾が施されているのですが、何の印だろうと不思議に思われた方もいらっしゃるかもしれません。

今回は1991年プーク人形劇場誕生20周年の記念の年に発行された「みんなとプーク」第143号『こどものページ』のコーナーから、じっくり解説いたします。

▲「みんなとプーク」第143号表紙(1991年11月20日発行)

こどものページ』より

~人形劇おじさんの話 No.31~

劇場の壁には何が彫ってあるの?

 プーク人形劇場の正面の壁には1階から5階まで、いろいろな彫刻が掘られています。

 これはプークが誕生してから劇場ができるまでを絵と文字で彫りつけた人形劇団プークの歴史です。

 この彫刻は20年前、この劇場を建てたとき、おじさんが構図を考えてデザインをし、彫刻家の野口鎮さん(元プーク美術部員・行動美術会員)に協力してもらって掘ったものです。

▲壁面を掘る劇団員たち①(1971年)
▲壁面を掘る劇団員たち② (1971年)
▲壁面を掘る劇団員たち③ (1971年)

 劇団の人たちも、ある人はブタの目、別の人はオリーブの葉を一枚ずつと手伝って掘り上げました。

 全部彫り上げるのには1ヵ月ちかくかかりました。

▲▼劇場壁面(一番上の段)

 一番上に掘ってある1929はプークができた年号で、今から62年前です。そのときの劇場の名前は「人形クラブ」で、エスペラント(万国共通語)では、LA PUPA KLUBO、PUKはそれを略したもので、戦争後、それを劇団の名前にして人形劇団プークになったのです。

 その下にTOJO、またその下にPiriとあるのは劇団創立者川尻東次の名前で、子どものときピリケン(キューピー)そっくりでピリはニックネームです。

 けれどそのころの日本には芸術の仕事に自由がなく、1933年にはプークの名前で活動することができなくなり「パンチ座」と名前をかえました。ここから年号の文字が凹字になるのはそのためです。

 パンチ座のとき、おじさんは日本ではじめて両手使いの人形を作ったので、その首を掘りました。

▲▼劇場壁面(4階)

 次は4階です。1935年には「お人形座」に変り、初めて影絵が上演されました。1936年にはまた人形劇団「ユーナプーポ」(若い人形)に変わりましたが、1938年には劇団員は人形を作って売る人形工房という共同生活をしながら活動を続けました。

▲▼劇場壁面(3階)

 3階にうつると、左半分の壁はデコボコに掘り荒らされていますが、これは太平洋戦争がはじまる前の年1940年に人形工房は全員警察に検挙され、劇団は解散させられ、戦争が終わるまでは、プークはなくなったようにして活動したのでした。

 ここに掘られている何人かの人たちの名前は、その間に亡くなった犠牲者たちです。鉄かぶとのガイコツとサーベルと鉄砲は、そのころの警察と軍隊を表わしています。手すりに掘られた人形を使う形の手に持った麦の穂は折られています。

 3階中央には、平和を表わすオリーブの枝に日本が戦争に負けた1945815日の記念日が掘られています。けれどその左にもう一人、戦争が終わっても警察から釈放されずに死んだ犠牲者の名前が掘られています。

▲壁に名前が掘られている人たち

 1946年は凸字で掘られています。焼け跡の目白にバラック小屋を建て、人形劇団プークが再建された年で、そのときの劇団のマークは丸太の棒から生まれたピノッキオでした。

 その右にあるのは劇団ができてから戦後まで、プークのみんなの面倒を見てくれた劇団の母親ともいうべき川尻東次の母親の名前です。

▲再建当時の稽古場、アトリエ。現在の劇場が建つ土地(1949年)

 1948年は現在劇場のあるこの場所にプークの事務所とけいこ場ができた年です。劇団員はここで共同生活をし、劇団のマークもPマークに変り、プークに花が咲きはじめました。マークの下に共同生活を支えた二人の名前があります。

▲▼劇場壁面(劇場名)

 劇場玄関の上の名前のPUK(プーク)PUPA(プーパ)TEATRO(劇場)の右に1949・1PPと凹字が掘られ、その下に凸字で1967・2PPとあります。

 1949年には、現在の劇場の道をへだてた反対側に、プークの百坪(330平方メートル)の土地にアトリエと住宅があり、さらにホールのあるプー吉会館を建てようと1PP(第1次プーク建設計画)をはじめましたが失敗に終わったので、これは凹字で掘られています。

 それからいろいろな困難がありましたが、劇団は力を養い、1967年には劇団創立40周年までにはなんとしてもプークの劇場を建てようと2PP(第2次プーク建設計画)を出発させて全力をあげてがんばりました。

 劇場名の左に掘られた1960とその下のマークは、この年日本ではじめてプークがUNIMA(国際人形劇連盟)に加入したので、ウニマのマークの人形がプークの旗を持っています。

 そして玄関入口の左の壁の上に掘られているように、計画より4年遅れた19711126日東次忌(川尻東次の命日)に2PPは成功し、プーク人形劇場が誕生しました。

 今年はそれからちょうど20周年の記念の年です。(絵と文/川尻泰司、1991年11月20日発行「みんなとプーク」第143号『こどものページ』より)

▲「みんなとプーク」第143号『こどものページ』 (1991年11月20日発行)

P.P.T.50フェス いよいよ今月開幕!

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いよいよ今月12日から、『P.P.T.50フェス』開幕です!

5劇団連続ジョイント公演に先立って、プーク人形劇場のロビー展示スペースに5劇団の人形たちが集まって、皆様をお出迎えいたします。どうぞお楽しみに!

連続公演の詳細はこちらを御覧ください!

★5劇団の作品のみどころ!

参加劇団から届いたメッセージや、お客様の感想、プークスタッフからのおすすめポイントなど…


【おさん茂右衛門語り草】/人形劇団京芸

『心中』の美学とは対象的な、辛くて苦しくて、しかし愛に満ち溢れた逃避行を選んだ二人の道行きを、どうぞ一緒に歩いてみてください。
『井原西鶴が描いた人間の『業』を、ひとり芝居で演 じる大人な人形劇!』


【はれときどきぶた】/人形劇団ひとみ座

奇想天外なお話が人形劇に!三人の人形遣いが、ボサノバギターの調べに乗せて、オシャレで不思議なアンサンブルを繰り広げます
『あの「はれぶた」がおしゃれ!子どもも親も、夢中の1時間でした。』
『子どもの頃に読んだ「はれぶた」が懐かしく、泣きそうに・・・』


現代版・イソップ「約束・・・」】/人形劇団プーク

情報化社会にとまどう狼と、その様子を俯瞰して眺める狐。現代のスピードからこぼれ落ちていくものをすくい集め、“今”を見つめる風刺劇!
『表情の変わらない人形に心揺さぶられました。』
『ユーモアと風刺の利いた会話、おみごと!』

【カマキリと月 / ずんぐりイモムシの夢】/人形劇団クラルテ

南アフリカの小さな虫たちの世界をアフリカンポリフォニーで響き合う雄大な大地を感じてください。
『アフリカの不思議な打楽器の生演奏。虫たちのコミカルな動きがかわいい!』

【トッケビ ー鬼ヶ島と呼ばれた島ー】/人形劇団むすび座

鹿児島の中高生の想いが生んだ、姿かたちを観る人にゆだねる『人形劇の新境地』。想像力が未来を拓く!
『見ごたえアリ!世界中で起こっている様々な出来事、親子で語り合いたいと思いました。』
『素晴らしい物語を懸命につむぐ演者の皆様の熱量に感動!』

死神】/人形劇団プーク

落語とはひと味違います。人形劇ならではの演出でお魅せします。結末は・・・ぜひ、その眼でお確かめください。
『個性的でインパクトのある人形たち!あの有名古典落語が、ちょい怖・可笑しな人形劇に。』



5劇団連続ジョイント公演に先行して
『オカピぼうやのちいさなぼうけん』出版記念イベント
全編生演奏にのせてお届けする人形劇
『オカピぼうやのちいさなぼうけん〜LIVE上演 with 3日満月〜
がございます。
2月12日、13日の2ステージです。こちらもぜひお越しください。
 



通常の公演
『オカピぼうやのちいさなぼうけん』と『がんばれローラーくん』
の二本立ても、まだお席ございます!
こちらはまもなく、2月6日からです。
長谷川義史さんの絵本原画の展示もあわせてお楽しみください!

人形たちの動く様子をちょっとだけご紹介・・・↓

『カモメに飛ぶことを教えたドラ猫の物語』 3月公演中止のお知らせ


この3月に予定しておりました
ブルガリア・ソフィア人形劇場との共同制作公演『カモメに飛ぶことを教えたドラ猫の物語』は、中止とさせていただきます。

度重なる延期にも関わらず、変わらずに応援し楽しみにしてくださっていた皆様には、このような残念なお知らせとなってしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。


私達は、二度の延期を経て、この3月の公演実施に向けて準備を進めてまいりました。
ソフィア人形劇場のメンバーも、日本での待機期間の隔離についても覚悟を決め、最後まで来日を目指してくれていました。しかし、オミクロン株に対する水際対策の強化により、海外アーティスト入国の目処が立ちませんでした。私達も悔しくてなりません。

ブルガリアのメンバーも私達も、今回届けられなかったこの作品を必ずや日本のみなさんに届けたいと考えています。次にむけて、あらためて準備をすすめることにいたしました。
実施することが決まりましたらご案内いたします。
どうぞ引き続きのご声援をお願いいたします。

2022年 1月 31日 プーク人形劇場

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