プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑨ – 人形劇団プーク

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プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑨

 寒さ厳しき折、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今年もゆったりペースでプークにまつわるあれこれをご紹介してまいりますので、おうち時間のおともにお付き合いいただけたらと思います。

 さて今日から2回連続でプーク人形劇場の外観についてお話してまいります。まずは劇場という建物についてのお話です。昨年10月15日発行の「みんなとプーク」第277号『プーク見聞録』の記事より、ご覧ください。(※注釈のない写真はすべてイメージ画像です)

▲プーク人形劇場の壁面を掘る劇団員(1971年)

プーク見聞録 ~劇場50周年~

その3「碑と壁面彫刻」

 1971年、プーク人形劇場が誕生した年に発行された記念誌の中で、当時の劇団で代表を務めていた川尻泰二は建物の完成を「やはり大きな喜びである」としながら「だがそれは、われわれが更に新しいスタートラインに立ったことを意味する」と語り、その訳を「”仏つくって魂入れず”ということになっては何にもならないことだからである」と記しました。

また、文中には全長27メートルの劇場を「奈良の大仏のほぼ2倍」の高さだと感慨深く語る氏の言葉も残されており、そこからは劇場と仏象を重ねて見ていた眼差しが感じられます。今回は、そんな氏の残した言葉の由について、劇団に遺された文献や多少の民俗学分野の研究を手掛かりに探ってみたいと思います。

 まず、一般に劇場とは建築物です。したがって御仏の姿を模した仏像のような鋳物(いもの)や石造物とは造られる目的から異なります。但し、ここで注意すべきは劇場のように何らかのことが演じられる場とは、本来は神に祈りを捧げる場であったということです。先ほどの川尻氏の文章にもあった奈良の大仏は、正確には(ひがし)大寺(だいじ)盧舎那(るしゃな)(ふつ)(ぞう)と言い、奈良県は東大寺の大仏殿に本尊として納められていますが、こうした仏殿が建立(こんりゅう)されるような土地は、それより以前の古い時代から神木や石神(いしがみ)などの神体が祀られていた所を選ぶことが多く、そのような巨木や奇岩(きがん)を境内に祀っている寺社は現在も多く見られます。

また縄文など古来より、それらの神体には土地の人々による五穀豊穣や安産祈願などの「実り」に対する祈りを捧げられてきました。その切実なる祈りは、後に様々な形へと発展していったと考えられますが、その一つに祭りがあります。元来、祭りは神が降りて来るのを待つ儀式であったと言われていますが、その最中において人々は神を待つために様々な祭儀を行い、祭りの起源や謂れを伝承するために芝居を演じて物語るようになったのではないかと考えられます。また、そうした祭事を行った場が今の劇場の原風景であるように私には思えてなりません。

以上のように日本の原始宗教は祭文や祭事などの中に民族の伝統を遺してきたのですが、やがて大陸から文字が伝播されると、石などの自然物にそれを刻む慣習が生まれます。文字を彫られた石は、石碑もしくは「(いしぶみ)」と呼ばれ、表面にはその地に伝わる”忘れてはならない過去の謂れ”が刻まれています。そうした石を日常的には記念碑などと呼びますが、けして軽んじて然るべきものではありません。なぜならば、そこには何か「魂」とでも言えるものが刻まれているからです。

 さて、ここで話を劇場の方へと戻しますと、プーク人形劇場が誕生した当時「コンクリート直彫り」と謳った劇場の外壁には、多くの碑文が刻み込まれています。それらは劇団が創立されてからの歴史や「多くの困難の中にプークの未来を信じつつ世を去った人たちの名前または愛称」をエスペラント文字で刻んだ数多の徴です。そして、それらの碑文を彫り込んだ劇場を、川尻泰司は「42年の足跡を絵入年代記として彫り込んだいしぶみである」と述べています。つまり、氏はこの劇場を石仏より前の原始的な神体になぞらえて考えていたのではないでしょうか。

▲劇場壁面のレリーフ

飛鳥時代に大陸から仏教が伝来されるより以前、原始の時代における神体は仏像ではなく自然にある石や木でした。森羅万象の事物に神が宿ると考えた日本のアニミズムにおいて、生活に恵みをもたらす木や石の中でも特に巨大なものや奇態なものは人々に畏敬の念を抱かせました。

こうした呪術的ともいえる強大な力を「太陽の塔」の造形などで知られる岡本太郎氏は「なんだこれは!」という戦慄の言葉で端的に表現していますが、本来、石とはそうした底知れぬ力を内に秘めたものなのです。プーク人形劇場はコンクリート造であるため、その材質は純粋な石ではありませんが、やはり川尻泰司がそれを「碑」であると書いている以上、本質的にはやはり石の建築物と考えるべきでしょう。だからこそ、劇場は仏でもあり得ると共に「魂」の入れものとしても成り立つのです。

▲ 劇場壁面のレリーフ(正面入口左側)たとえ ひとりになっても私は歩みをやめない。新しい仲間は必ず集まってくる。プークがやろうとするのはそのような人形劇の仕事だ!

では、その肝心な「魂」とは何かといえば、それは人形劇を含む芸術の全てではないかと私は考えます。劇団の記念碑でもある劇場に表現者の心に灯る火を絶やさぬことで、劇場に宿る「魂」は今も燃え上がり続けているのです。在りし日に建築現場の職人さんたちから「石屋さん」と呼ばれ、壁面の削石に打ち込んだ日のことを川尻泰司は「幸せに満たされた日々」と回想しています。その胸に煌いたであろう喜びへと想いを寄せながら、この度は筆を置くことにします。(文・池田日明)

▲劇場壁面に彫刻を施す笑顔の川尻泰司(1971年)

いかがでしたか。次回は壁面に掘られた印や名前について、一つ一つ取り上げてみたいと思います。どうぞお楽しみに。