プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑤ – 人形劇団プーク

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プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑤

ご好評をいただいております、こちらのコーナー、今回は少し角度を変えて、プーク人形劇場の立地についてのお話です。7月1日発行の「みんなとプーク」第276号より『プーク見聞録』の記事からご紹介いたします。

▲1958年 プークアトリエ周辺航空写真(一番右の白丸が現在地)
淀橋浄水場(1899~1965)が写真上部に広がる。左右を横断するのが甲州街道と京王線。

 “それは今から50年前のことでした。春告鳥がようやく目を覚まし、うたの稽古を始めた冬晴れの日に、プーク人形劇場の建設は始められました。それに先立ち行われた地鎮祭(じちんさい)では、祝詞の上奏や、鎌や鍬などを使っての地鎮が行われたほか、獅子舞による地固めも行われ、氏神様へ建設の許しを乞う祈りが捧げられたとともに、これから建設が始められる劇場の堅固長久が祈られました。今回は、プーク人形劇場が建っている土地についてみていきましょう。

▲1971年2月10日 地鎮祭にて舞う獅子舞
▲1971年2月10日 鍬入れ式に人形たちも参加

 まず皆さんは現在のプーク人形劇場がある住所をご存知でしょうか。新宿駅からほど近く、南新宿の地域にある劇場ですが、その住所は意外にも渋谷区の代々木2丁目となっています。では、劇場の氏社は代々木八幡宮なのかと言えばそうではありません。劇場の所在地を含む代々木2丁目の一部地域は、昭和32年頃に地名が変更される以前は千駄ヶ谷5丁目に含まれ、その内の裏新町と呼ばれた地域に劇場は建っています。そのため氏社は千駄ヶ谷の総鎮守である鳩森八幡(はとのもりはちまん)神社で、そこで祀られる八幡神様に劇場は守られているのです。その千駄ヶ谷の地は、かつては千駄の萱を産生する豊かな萱野であったとか、千駄焚きという高台で火を焚き行う雨乞いのための場であったなどと言われています。また、江戸時代には武蔵野台地に流すための上水路として玉川上水が掘られ、その分水(ぶんすい)が昭和の中頃まで地上を流れていました。それも現在では暗渠(あんきょ)になってしまいましたが、その跡地には御上水に掛かっていた橋の名を継ぐ形で葵通りと名付けられています。

▲現在のマインズタワービル

 ちなみに、この葵通りにも引き継がれた葵という名は、現在のマインズタワーが建っている土地に紀州徳川家の下屋敷があったことに由来しています。昔の人々は橋にも命が宿っていると考え、それを橋姫の伝承などに残していますが、劇場近くにあったこの橋は徳川家の家紋にあやかり葵橋と呼ばれ、人々から親しまれて現在でも記念碑などが残されています。

▲葵橋の記

その徳川家の下屋敷の南には大きな池があり、そこには水車が掛かっていました。今から約2万年前に成立したとされる武蔵野台地を流れる渋谷川やその支流は、江戸から明治にかけて人々の生活を豊かに支えてきました。葛飾北斎の浮世絵に描かれている「隠田(おんでん)の水車」の景からは水車を利用して精米や洗濯などを行う人々の暮らしを垣間見ることができるでしょう。

▲冨嶽三十六景 穏田の水車(東京富士美術館所蔵品)
解説ページ:https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1169

 また、江戸時代の人々の暮らしの中で欠かすことのできないものに民間信仰があります。信仰のために結ばれた集団を〝講〞といいますが、これには稲荷講(いなりこう)や庚申講(こうしんこう)と種々様々な信仰があります。特に渋谷の地域では富士山を信仰する富士講の人気が高く、直接に富士へ出向くことのできない人々のために富士塚が築かれたこともあり、それは今も鳩森八幡神社の境内に鎮座しています。そうした信仰のための建築物は他にも様々ありますが、舞台もその一つと考えられるでしょう。その代表格に神社の境内に設営される能舞台がありますが、そもそも日本における芸能の起源は八百万(やおよろず)の神々に対する祈りにあるのだと私は考えます。前号で取り上げた「田遊び」も田の神様への豊穣祈願を目的とした催事の一つでした。その他にもこうした例は枚挙にいとまがないほど存在します。

 1971年2月10日に行われた地鎮祭において、プークはこの土地に宿る八幡神様に祈りを捧げ、劇場建設の許しを頂きました。それから50年が経過した現在も劇場は同地に建ち、私たちに人形劇を演じる喜びを与え続けてくれています。いつの世も人は土地とともに暮らし、何かに祈りを捧げて生きて来ました。私はプーク人形劇場があなたや私の暮らしを豊かにする祈りの場でありつづけていけることを願って止みません。(文/池田日明)” 

▲1948年6月竣工 現在地に建てた稽古場
▲解体前のアトリエ兼稽古場の様子

いかがでしたでしょうか。今回は少し違った視点からのお届けとなりました。今週末は紀伊國屋ホールでの観劇の帰り道、古地図を片手に新宿・渋谷地域をブラブラ散策してみるのも楽しいかもしれません。きっと今までとは異なる風景が見えてくるはずです。くれぐれも熱中症にはお気を付けくださいね。