2021年4月15日
プーク人形劇場誕生50周年シリーズ③
今年の11月に劇場誕生50周年を迎えるプーク人形劇場ですが、建物以外にも当時と変わらぬ姿で残されているものがたくさんあります。今回はそのうちの一つである舞台緞帳について、本日発行の「みんなとプーク」第275号より『プーク見聞録』の記事からご紹介いたします。
“プーク人形劇場は1971年の誕生から今年で50周年を迎えます。人形劇の専門劇場として建設された劇場は国内外から招致された人形劇団の上演のみならず、人間による芝居を行う劇団やパフォーマー、ミュージシャンなどジャンルや手法を問わず、数限ない人達による芸術表現を行う場として賑わって来ました。
また、そんな彼らの表現の始まりと終わりを告げる緞帳は、劇場と同様に50年間変わることなく、その役目を果たし続けて来ました。今回は、その緞帳について少しお話を致しましょう。
この緞帳に描かれた絵をご覧になって、まず目につくのは藁で編まれた人形ではないでしょうか。また、藁の人形と見て始めに想像されるものは、丑の刻参りなどで用いられる呪術の人形かと思いますが、或いは神を宿らせて遊ばせる形代ではないかとも私は思います。
そこで、劇団の諸先輩方に人形の正体を伺ったところ、これは田遊びをしている「よなぼ」という名の人形であるとのことです。田遊びとは日本の民俗にある古い慣習の一つで、年の初めに豊作を祈願して行われる行事です。また「よなぼ」は稲の子どもを意味した人形であると言います。緞帳にそれが描かれたのには、長く劇団の代表を務めた川尻泰司の並々ならぬ熱い想いが関係しています。
劇団のレパートリーに『人形日本風土記』というものがあります。これは川尻泰司が構想から9年の歳月を掛けて、日本の民俗を全国に取材し書き上げた日本の人形の風土記を扱った芝居なのですが、その冒頭に「よなぼ」を踊らせて田遊びを表現した場面があります。
この脚本を執筆した当時、氏は『人形日本風土記』を、19世紀のチェコに生きた作曲家ベドルジハ・スメタナの組曲『祖国』にも劣らぬ作品に仕上げたいと考え、その挑戦に付随する葛藤を脚本の前書きに記していますので、ここに引用してみましょう。
「私の心の中ではスメタナの『祖国 』にまけないものをつくり上げたいのだ。だがそれは今日は無理である。私にはそれだけの力がない。だがやがてこの作品を更に高める努力を続けることで、やがてはスメタナがその組曲で音楽によって祖国を歌ったものに負けない作品だ。人形によって日本の国土の姿と民族の心を描き語り歌う組劇に作り上げていく事ができると考えている。このたびの舞台はその第一歩なのである。」(一九六九年『人形日本風土記』台本より)
人形芝居によって日本の国土や民族の心を描き出そうと考えた氏が、緞帳に日本の伝統風景を描いた動機はやはり同じところにあるのでしょう。劇場が誕生した1971年当時は、日本国内が大きく変わっていった時代です。その変化を肌や心で敏感に感じとった氏が、失われていく日本の景色や精神を芝居や緞帳に残そうとしたのかも知れません。
当時から50年を経て私の目に写るそれは、私たち日本人の帰るべき故郷の原風景にも見えます。昨今、インターネットやSNSなどの普及によって、私たちは容易にコミュニケートす ることが可能となっていますが、もしも私たちが再び共通の環境に立ち帰り、心を自然に返すことが出来れば、そのようなものは必要ではなくなるのかも知れません。
きっと、現代の私たちに本当に必要なのは使い捨てにされる言葉ではなく、そこにあり続ける詩なのでしょう。この緞帳に描かれた風景にはそんな日本の国土に宿っている詩を私は感じるのであります。(文/池田日明) ”
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