2022年5月 – 人形劇団プーク

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2022年5月 記事一覧

プーク人形劇場 ポンチ寄席2022

怪談 牡丹灯籠』 二夜つづき

一夜目 6月24日(金)17時開演

『開口一番』   入船亭辰ぢろ
『太神楽』    翁家勝丸
『写真の仇討』  八光亭春輔

三遊亭円朝作 
『怪談牡丹灯籠 お札はがし』  八光亭春輔

二夜目 6月25日(土)17時開演

『開口一番』   入船亭辰ぢろ
『紙切り』    林家二楽
『七段目』    八光亭春輔

三遊亭円朝作 
『怪談牡丹灯籠 幸手堤』 八光亭春輔

二夜とも大喜利、かっぽれ、お楽しみ福引あり!

八光亭春輔プロフィール

略歴
世田谷区出身。 小学生時代。ラジオ「しろうと寄席」に通信亭三助の芸名で40回鐘を鳴らした。
(TBSラジオしろうと寄席 1955年3月~1962年10月終了)
1964年7月 八代目林家正蔵(彦六)に入門。6番弟子となる。前座名は林家あとむ。 
1969年7月 二つ目昇進。林家照蔵に改名。 
1977年7月 藤間流家元・尾上辰之助より香寿太郎の名を貰い、藤間流名取になる。 
1979年9月 真代昇進。三代目八光亭春輔襲名。 
1993年  文化庁芸術祭賞受賞。

●会 場
プーク人形劇場 

●日 時

6月24日(金)17時開演 6月25日(土)17時開演

●木戸銭

二夜通し券 ¥5000
前売り券  ¥2800
当日券   ¥3000

【お問い合わせ・ご予約】
プーク人形劇場 03-3379-0234/theatrepuk@gmail.com
または下記フォームよりお申し込みください。

牡丹燈籠 二夜続き ご予約フォーム
入力内容保存/読込

牡丹燈籠 二夜続き ご予約フォーム

ご予約内容必須
ご予約回
入場料
ご予約人数
小計
6月24日(金) お札はがし
2,800円
余裕あり
6月25日(土) 幸手堤
2,800円
余裕あり
24日・25日 二夜通し券
5,000円
余裕あり
[合計]
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プーク人形劇場誕生50周年シリーズ⑫

 皆さん、こんにちは。プーク人形劇場では『もりのへなそうる』と『影絵人形劇 大きなかぶ』の公演が始まり、ゴールデンウィークにはたくさんの皆さんにご来場いただきました。まだ観ていないという方、明日からの公演は比較的お席に余裕がありますので是非お出かけくださいませ。

 さて『もりのへなそうる』では、てつたくんとみつやくんが繰り広げる遊びの中から物語が展開していきます。この「こども」と「遊び」とは一体どんな関係にあるのでしょうか。先月発行の 「みんなとプーク」第279春号 『プーク見聞録』のコーナーから、一緒に考えを巡らせてみたいと思います。

▲ 2022年4月15日発行「みんなとプーク」第279春号

プーク見聞録 その5 ~こどもと遊び~

 この春からプーク人形劇場では『もりのへなそうる』が上演されます。お芝居では五歳になったお兄さんのてつたくんが、二歳年下の弟みつやくんを連れて、こども部屋から想像で見立てた不思議な森へと探検に出ます。鬱蒼とした密林を切り開き、果敢に進んで行く二人は、やがて森の奥に”きれいなでっかい卵”を見つけ……。そうして始まるこのお話しは、私たちをこどもの遊びの世界へと誘います。今回は、そんなお芝居にもある「こども」と「遊び」について様々な本からみていきましょう。

▲ 人形劇団プーク「もりのへなそうる」舞台

 皆さんは「七歳までは神のうち」という口碑をご存じでしょうか。柳田国男さんが採取したと言われるこの言葉の解釈については諸説あり、よく知られているものには七五三や七つ子参りに関係し、幼子の命の不安定さを述べているという説があります。その一方ではもっと単純に、こどもは大人とは異なる存在であることを表しているとする説もあり、こちらは子やらいという古い言葉にも繋がる解釈でしょう。しかし、ここではこの言葉を文字通りに七歳(満年齢の五、六歳)までのこどもは神と同じだとするものと考えます。その理由は「遊び」にあります。

 人類を「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と呼称したのは歴史家のヨハン・ホイジンガです。彼はその著書において「文化は遊びのなかで始まった」と、文化の本質が遊びにあることを説いています。では、遊びとは何でしょう。我が国におけるその起源について、詩人の高橋睦郎さんが『遊ぶ日本』の中で興味深い論考を記しています。高橋さんは『神楽歌』の一つ「木綿(ゆふ)作る」において「遊べ」と繰り返し唱和されることに着目し、―元方が「君も神ぞ」というのに対して、末方が「汝も神ぞ」といっているから、唱和する両者は神と想定されるだろう。とすると、「遊べ」とはほんらい神の動詞なのではないかーと推察します。

高橋睦郎 著『遊ぶ日本』

 神と遊びの関連で言えば、東北などの巫女の職能にオシラアソバセがあります。これはオシラサマと呼ばれる木偶(でく)を手で操り、祭文を唱えながらそこに宿った神を遊ばせる祭事のことで、ここでも「遊ばせ」が神の動詞として用いられています。その他にも神楽を神遊びという場合もあることから本来の遊びとは神を楽しませ、神と人とが交歓するための行為であったことが想像されます。

▲オシラサマの人形:青森県下北半島陸奥市のイタコが使う二体、1968年撮影(川尻泰司著『人形劇人ノート』より)

 そうした「遊び」は、現代では社会学者のロジェ・カイヨワの手によって分類化され、『遊びと人間』において彼は、ごっこ遊びや芝居をミミクリ(模擬)の遊びから生じたものと記しています。また民俗学においては、こどもの遊びは大人の慣習や神事の模倣に始まり、そこから本来の意味が抜け落ちて生じるものだとする考え方もあります。日本語における模擬や模倣の起源は、マネブ、マナブと言う古語にあるので、日本では模倣と学習が同源であったことが推量されます。すると、こどもの遊びとは大人の模倣を通した社会経験だと考えられそうですが、果たしてそれだけでしょうか。

ロジェ・カイヨワ著『遊びと人間』

 仏文学者の多田道太郎さんは『遊びと日本人』の中で次のように述べています。―子供は大人そのものをマネているのではない。大人のすることを模倣し、模倣しているうちに自由な好奇心の発動を味わい、これを遊んでいるのである。(中略)子供は実用性をはなれ、感動そのものとなる。子供が最初の詩人となる。子供は大人を模倣しながら、しかし彼はいわば純粋模倣者となる。大人をマネるだけではない、彼は状況を模倣し、生物を模倣し、宇宙そのものを模倣する―ここで言う「感動」とは、即ち私たちの太古の記憶のことです。

多田道太郎著『遊びと日本人』

 民俗学者のフロベニウスはアフリカでの調査を通して、古代人の生活における経験は、まだ表現を得ず「ただ感動に打たれた状態」であったと考えました。こどもとは人の未来であると同時に過去でもあるという考え方がありますが、私たちはこどもの遊ぶ姿に、生きることがただ感動そのものであった頃の記憶を、或いは神の面影を感じているのかも知れません。だからこそ、私たちはその姿に感動をすら覚えるのでしょう。

 「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん、遊ぶこどもの声聞けば、我が身さげこど動(ゆる)がるれ」とは、平安時代の今様集『梁塵秘抄』の一首にもその感動は歌われています。この春は、こどもと遊びの季節を過ごされてはいかがでしょう。劇場では小さなお友達から大きなお友達まで、すべての皆さまをお待ちしております。お客さまも神さまです。(文・池田日明)

植木朝子著『梁塵秘抄』

 こどもたちは未来でもあり、過去でもあったのですね。太古の昔から遠い未来までがこどもたちによってつながっている、何だかとてもスケールの大きな話ですが、客席のこどもたちの素直な反応が、私たち大人に元気や癒しを与えてくれるのは、このようなルーツも影響していたのかもしれません。

 こどもの遊びから生まれた「へなそうる」にどうぞ会いにいらしてください。公演は6月5日(日)まで行っています。劇場でお待ちしております。

▲ 人形劇団プーク『もりのへなそうる』舞台